プロローグ
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、「1000年に一度の大きな地震・津波災害」「これまで経験したことのない未曾有の災害」などと言われている。
その東日本大震災は多くの被害をもたらし、福島県では東京電力福島第一原発事故も発生した。
あれから4年と55日を迎えた2015年5月5日、私は帰還困難区域を訪ねた。
今日の行程
品川 → いわき → 冨岡・大熊・浪江・南相馬・小高区・楢葉・川内村・広野・いわき → 品川
同日午前6時に自宅を出発、品川駅よりJR特急ひたち1号に乗車し、いわきに向かった。
いわき駅に予定通り9:18着。常葉大学社会環境学部の小村隆史さんと、その愛車の迎えを受けた。
その小村さんの運転で助手席に座り視察できるとは、今日はなんと恵まれているのだろうか!
小村さんとの出会い
小村さんとは、1992年9月に千葉県の幕張メッセで開催されたアジア太平洋大災害医学会で初めてお会いした。
以来、かれこれ23年ほど災害関係でご指導を受け、災害関係のセミナーでもご一緒させていただく機会が多い。
さらにお互いの趣味(?)、時には美味しいものを食べ歩くなどでもご一緒させて頂いている。
小村さんは私を“災害看護の世界ではスーパービッグネーム山﨑達枝さん”とか“災害看護のパイオニア山﨑達枝さん”と紹介してくださる。
しかし、私には過大なる紹介でいつも恐縮している。が、そこまで語っていただくことに感謝もしている。
小村さんこそ、防災研究家では著名人である。
特に小村さんらによって発案された、災害図上訓練DIG――Disaster Imagination Gameの頭文字をとってDIG(ディグと読む)――と言えば小村さんと言える。
小村さんの右に出る人はいないのではないかと思える。小村さんこそがこの世界のビックネームな人である。
荒れ果てた土地
まず最初に入った地域は冨岡地区。
冨岡第二小学校は、給食センターの工事中であった。工事資機材を運ぶトラックが止まっている。
しかし、子どもたちの声・話し声・人の姿などは一切、目に、耳に入らない。
ここ富岡に住んでいた方には大変申し訳なく、また大変心苦しい言い方になるが、人がいないところ、コミュニティがないところに、復興はあるのだろうか?
子どもたちは本当にこの町に戻ってくるのだろうか? 4年も空けていた地域や家に戻ってくるのだろうか? その保証も無いまま、このような工事をすることについてはどうなのだろうか…???
自問自答しながらも答えは出せないまま、徐々に気持ちが重くなってきた。
レストランは営業してないが、コンビニ(ローソン)は営業中だった。お客さんは工事関係の方々だろうか?
冨岡町の有名な「夜の森の桜並木」はすでに桜の花は散っていたが、桜のトンネルに感激。本当に誇れる・癒されるすばらしい地域であると思える。
この故郷が今でもそこにあるのに、自宅もあるのに帰れない人々のことを思うと辛い。
多分ここは田畑であったのでは…と思える。
周辺の田畑は海水にのまれた。今、耕す人の姿はなく、草がぼうぼうと生い茂っている。やはり雑草は強い!
このあたりは民家? 家の土台らしき物が確認できる。
家族との思い出、誕生日のお祝いをした、家族が一人増えた等々、ここに色んな思い出があった。その思い出は消え、今は荒れ果てて何も残ってない。
通行止めの看板の前には警備員が立って固くガードしている。
家々の玄関先も同様にしっかりとガードされている。自分の家があっても帰れない、それどころか入ってはならないとばかりにガードされている。こんな切ないことがあっていいのだろうか。
空き巣など不審者の取り締まりなのか県警のパトカーにもよく出会った。
黒い袋
住宅の大半が流された南相馬市。
電柱もなぎ倒されたと思う、その電柱も新たに設置され復興を目指していることが伺える。
ひっそりと静かに時が流れる。ここも多分住宅や田畑があったのでは…。
黒い1袋=土1トン。町のあちらこちらに異常なほどに目に付く。
数百、いいえ数千の黒い土嚢が並ぶ。「こんな土が今も町中いたるところにある」悔しい気持ち。
南相馬市内の道の駅に立ち寄って昼食。
物産店内で「東日本大震災 原発事故 ふくしま1年の記録 福島民報社」を見つけ購入した。
その冊子の中に、箱根駅伝で4年連続区間賞という驚異の記録を打ち立てた柏原選手(いわき総合高校 → 東洋大学)の走る姿とコメントが載っていた。
「僕が苦しいのは1時間ちょっと。福島の人に比べたら全然きつくない」。
このコメントに目頭が熱くなった。
やはり来てよかった
僅か1日の視察であった。もっと早く来たかった、来るべきだった。
今になって現場に初めて来たが、やはり来てよかった。
人が見えないのに、嫌でも目に入る荒れ果てた土地と黒い土嚢。
同じ日本人なのに、苦しんでいる人がいる。このことを伝えていくことに私の役割がある。
現場にこそある学びを若い学生に伝えていくことが、私に課せられた役割だと思う。
その後5月16日、福島県立医大よろず健康相談のメンバーの一人として、飯館村の皆様が避難している地域で行われた健康診断の会場に伺った。
予定されていた健康診断が終わった後に、借り上げ住宅に住まわれている方が抱えている問題の一部を伺う事が出来た。
「戻りたいよぉー、畑仕事がしたいよぉー。そう思って4年過ぎた…」。
今でも語った方のお顔が忘れられない。