山﨑達枝 災害看護と私 Disaster Nursing

東日本大震災から2年後の被災地医療施設訪問(2013)

レンタカーで病院訪問

東日本大震災発生からもう2年が過ぎ3年目に入った。何度私は被災地にこうしてレンタカーで走り病院訪問をしているのだろうか?

東京から新幹線で仙台へ、仙台~(乗り捨て)レンタカーで~石巻~女川~南三陸(志津川)~気仙沼~陸前高田~大船渡~宮古~山田~大槌~釜石~遠野経由盛岡、レンタカーを返し新幹線で帰京するというコース。

2年前の3月11日。あの時、石巻は津波で流れてきたヘドロの影響で町全体が黒っぽかった。午後3時過ぎると町は大潮と地盤沈下で幹線道路は冠水し、車で走るのが怖いくらいであった。被災者の方から、「早くこの街を出なさい、車は走れなくなるから」と強い口調で言われた、私たちを心配して下さったことに感謝し町を去ったことが昨日の様に思い出される。

当時、石巻駅前の市役所は多くの被災者で避難所化していた。町はあれから2年過ぎ、駅はとっても綺麗になっている。駅前通りの建物もあの時の光景とは結びつかない程に変わってきている。あの時のこの町の状況を知らない人は、どう思われるだろうか? これを復興と一言に言えるのだろうか、行きかう人々の表情に暗さは感じられず時に談笑しながら歩いている。でも現実はどうなんだろう?

photo JR石巻駅
photo 駅はとっても綺麗になっている

まだ私は幸せです

友人と食事する予定の店に行くためにタクシーに乗車、運転手の話では「津波で家が流された。女房も俺もアンティックな家具を揃えるのが趣味、楽しみだった。それも何年もかけて、海外からも取り寄せたりして…それが一瞬ですよ、すべて流され、金額にしたら何千万ですね、もう楽しみもなく物に対する執着心もなくなりました。でもこうして働ける職場があるからまだいいんですよ」と。ちょっと軽く笑いながら話す。

被災地の方が語る中で、他者と事の重さや被災の大小を比較し、自分の方が失った物が軽い・小さいと思うとまだ良いんですよとか、まだ私は幸せですと語る。

友人と御食事、石巻の味・魚介を堪能、美味しい! このお店も津波被害を受け移転し新築。友人も被災者である。彼女は、「震災前はお酒は飲めなかった、震災後お酒が飲めるようになった、元々(お酒を)飲める人が飲まずにいられない、アルコール中毒になるのもわかる気がする」と語った言葉に私は返す言葉が見つからなかった。

働き続けたいが住む土地がない

病院で働く職員、家庭の事情で仕方なく退職していく職員。ともに辛い中を生き抜いてきた職員を見送る辛さを涙ながらに語る看護部長さん。

「この病院で働き続けたいが石巻では住む土地がないので、私の実家に移り退職することに決めました」さらに彼女は「ここで頑張り続けたい、この病院が好きで働き続けたい、移る事で負けたとは思いたくない、でも子どものことを考えるとやはり実家に近いところに行くことにしました」と無念な気持ちを話してくれた。

自宅を失い狭い借り上げのアパート生活、年頃の子どもと看護職の宿命である夜勤業務、夜勤のために仮眠をしたくとも取れない間取り、家族の中でもプライバシーの確保が出来ない現実の声だった。

海は広いな大きいな

南三陸の街から気仙沼方面に45号線を走っていると、右手にきらきら光る海が続く…穏やかで広い海は良いなぁーと感じさせられる。しかし、左手側は瓦礫の山や陸に押し上げられた船の山…そして家の土台だけがまだまだ残っている。あの惨事は一瞬に牙をむいただけなのか、それにしてもその代償はあまりにも大きすぎる。

2日目の宿泊地はホテル碁石、県立高田病院を後にしたのが午後7時過ぎ、時間が過ぎるのもわすれ遅くまで話をしていた(地域の病院訪問し看護管理者の皆さんとの話の内容はここでは控えさせて頂くことにする)。車での移動とは言いながらも、灯りのない、行きかう車も少なく暗い道中ホテル碁石までは遠く非常に心細かった…。

大船渡~宮古~山田に到着。ハマナス学園は高台にありここから眺める海は最高に美しく癒される。思わず「海は広いな大きいな」と口ずさみながら両手を大きく広げ精一杯背伸びをする。天候にも恵まれて本当に気持ちが良い…。運転の疲れが忘れられ癒され至福の時間と場所、海に浮かぶ牡蠣やホタテの養殖、私はこの学園から眺める海が大好きだ。

photo 瓦礫の山と残された家の土台
photo ハマナス学園の高台から眺める海

また来ます

大槌~釜石へ。

4月の初旬、定年で卒業しましたとか転勤しましたと…確かに今はその時期。会いたい人と会えない…残念、次回は移動先まで尋ねようかな、迷惑かな…と独り言。

遺体」の映画の中で遺体安置所として使われた旧釜石第二中学校、立ち寄ると既に解体作業が進んでいた。その作業状況をボーッとして見ていると若い警察官から「卒業生ですか」と聞かれた。

photo 解体作業の進む旧釜石第二中学校

卒業生でもないが、なぜかむなしさを感じられずにはいられず、すぐにこの場を離れられなかった。ズーーンと気持ちが重くなった。そのまま一人ハンドルを握り盛岡に向かった。途中漫画「さんてつ」を購入し新幹線の中で読み始めた。辛い中で人の心の優しさに胸を打たれ感動し今度は三陸鉄道に乗りたいと心からそう思った。

私はお会いする皆さんに、「お元気」と挨拶の後に握手または抱き合う。暖かく迎えてくれる皆さん、そして話が弾み気がつけば2時間とも3時間とも過ぎている…。帰る時には「さようなら」とは言わない、「また来ますね」と握手かまたは抱きあったりする。

私は被災地を忘れない、遠くからでも私のできることを長く続けていきたい。いつまでレンタカーを借り、一人被災地周りができるのかちょっと年齢のことを考えると不安はあるが。

(2013年5月掲載)
Copyright© Tatsue YAMAZAKI