福島県浪江町視察
2011年3月11日に発生した東日本大震災。福島県浪江町は東京電力福島第一原子力発電事故により、町内全域が避難指示区域となっています。
あれから4年5カ月の月日が過ぎましたが、まだ皆さんは自宅に戻れません。
山﨑絆塾では、浪江町の皆さんが住んでいる二本松安達運動場に建設された応急仮設住宅を中心に浪江町視察を企画し、2015年7月25日(土)に中型マイクロバスをレンタルして、17名の皆さんと訪問しました。
帰宅困難区域に入らせていただけるよう書類申請し、町内に入ることができました。
この企画には、独立行政法人国立病院機構災害医療センター 災害医療部福島復興支援室の小塚浩さまに大変お世話になりました。
また福島県立医科大学の安井清孝さまには、当日わかり易いご案内と放射線のご講義をお願いいたしました。深謝しております。有り難うございました。
津島診療所の皆様、浪江町消防署のご講演、仮設住宅の住民の皆様とお話もできました。
突然のお訪ねとなりましたが、気持ちよくお話をしてくださり、さらに一人のお父さんが「仮設の中を見て行きなさい」とご自宅の中に入らせてくださりました。
関係者の皆様本当に有り難うございました。
当日のスケジュール
当日の主なスケジュールは以下のとおりです。
08:00 | 郡山駅発 | |
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09:00 | 二本松着 | 安達運動場仮設 津島診療所見学 |
10:30 | 二本松発 | |
12:30 | 浪江役場着 | ローソンで昼食 |
13:15 | 双葉消防講話 浪江役場見学 |
|
14:45 | 浪江役場発 | |
15:15 | 富岡町着 | 現地見学 |
15:30 | 富岡町発 | |
17:00 | 郡山駅着 |
参加者の声
参加されました方からのご感想が寄せられましたので紹介いたします。
2015 山﨑絆塾 in Fukushima ~空はつながっている~
地震・津波・原発事故の被害を受けた土地で「人」を感じる 1 日となった。
参加者からも現場の声を届けていただき、30km圏内・圏外での県民の生活状況の違いに戸惑った。
津島診療所では、住み慣れた場所に帰るに帰れない避難者と日常生活の場を提供し続ける地元住民それぞれの立場での思いがあることも知った。被災時に避難後に感じた医療者としての思いをお聞きすることができた。
放射線という見えないものを正しく怖がることの難しさ。今回は、安井さんのご厚意で線量計を携帯しながら、数値の変化を体験することができた。
通行許可を得てバスで通った町には除染等で働く人々の姿があった。
双葉消防では、発災当時からの活動をスライドや資料を提供いただきご紹介頂いた。原発の冷却水補給支援には、死を覚悟して出動されたことも教えて頂き胸が痛んだ。
最後の動画は、「ハンカチを準備してください」と声かけがあって始まった。モノクロの被災当時の時間が止まったような映像から叫びや祈り、決意や願いを感じ、風化してはいけないこと、まだ終わっていないことを心に刻んだ。
やがて、映像に色が戻る過程を通して現在の活動へとつながっていく若い力も感じた。
不眠不休の孤軍奮闘の時期から全国から応援が入り、疲弊した職員に多くの元気をもらったと言われた。職員の皆さんの健康を願わずにはいられない。
安井さんのクイズ形式での知識の確認は、多くの学びにつながった。
最後の問い、「県外の人が福島県のために出来ることってなんでしょうか?」それは、忘れずに応援すること。
これからも福島県産を買い、福島県に行って、福島県のことを考えることを続けていこうと思う。
山﨑絆塾のおかげで郡山に来ることができ、JMAT(Japan Medical Association Team、日本医師会災害医療チーム)での活動で知り合った医療者と震災以降初めての再会が翌日に実現したことにも感謝したい。
ありがとうございました。
滋賀県 乾悦子
福島県の帰宅困難地域を視察して
みなさんは、「誰も住んでいない町」を見たことがありますか? それは映画とか作り物の世界のことだと思っていました。
しかし、今回の視察で私たちが訪れた帰宅困難地域は4年以上経った今も復興には程遠い「誰も住んでいない町」でした。
私が福島県を訪れたのは2011年8月以来でした。2011年東日本大震災後初めての夏休み、放射線の影響で外では遊ぶことができない福島の子供と蔵王バスツアーの遊び支援ボランティア、郡山の仮設住宅で学習支援ボランティアをしました。
その後、レンタカーで南相馬の海岸沿いまで行きました。
2011年も線量計を持ち、福島県の南相馬市、飯舘村近くを回りました。今回、放射線量は0.1マイクロシーベルトを超えることはほとんどありませんでしたが、2011年の夏は福島市内でも2マイクロシーベルトを超えていました。
2011年の南相馬市は、海岸沿いの家々は津波で流され、土台だけが残され物悲しい有様でした。
現在、放射性物質汚染対処特別措置法に基づき、国が除染の計画を策定し、除染事業が進んでいました。11市町村のうち、田村市、楢葉町、川内村及び大熊町は除染作業が終了しました。
それでも、まだ除染が終わらず、帰宅できない人々がいます。
今回、浪江町民が避難している二本松安達運動場に建設された津島仮設住宅と診療所を視察しました。
4年経過した現在も、仮設住宅に住まい、普段の生活をできない人々がいます。
診療所に勤める看護師の方から話を伺いました。私たちは、普段「故郷」についてどれほどのことを考えているでしょうか?
今回の大震災で突然「故郷」を奪われた人々がいます。帰宅困難地域に住まいがある方たちは、家はあるのに帰ることが許されません。
「故郷」を失うことは、自分の一部を喪失したような、心の安定を奪われるような感じではないかと思いました。
長く、「故郷」に帰れない日々、さらに、同じ福島でも、原発から30km圏内で被災された人と30km圏外で被災された人では受けられる支援が異なることから、住民間で不和も起きているとのことでした。
大きな災害に見舞われ4年が経過したが、まだまだ課題が山積していることが今回の視察でわかりました。
私たちは、今後も被災地に目を向け、決して風化させないよう、できる限り、たくさんの人に伝え、人々の力で支援が進むよう尽力していくことが必要です。
被災地を支えるのもまた人であることを忘れず、被災地から離れた地域でも、自分のできることを実行していこうと思います。
今回このような機会をいただきました山﨑絆塾の皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。
嶋崎慶子
福島県浪江町視察に参加して ~思い・行動・そして継続~
初めに
2011年3月11日、東日本大震災。この日から1558日目に福島県へ行ってきました。
福島県は地震・津波・放射線と複雑な災害によってどのような事が起こっているのか、現地に行き五感を使って感じ取ってくる事はとても重要だと考えていました。
しかし、原発問題もあり訪ねること自体が迷惑になるかも知れない。どのようにしたら良いのか分からずに過ごしていたところへ今回の視察の話があり参加させていただきました。
視て聴いてきたこと
郡山駅前よりバスに乗車、移動中の車内では看護師の安井講師より震災後から県民の皆さんにどんな変化があり現在どんな体験をされているのか、また、放射線について、除染について、などなど盛り沢山な内容の事をご教授いただきました。
郡山駅を出発したバスは二本松の仮設住宅・仮設診療所へ到着。
診療所では仮設の方々の診療をされていて超音波・カメラ・一般撮影・採血ができるようになっていました。
しかし、仮設である故の不自由さもありそうです。スタッフの方が住民の立場からの体験も語って下さいました。
震災後4年、現在は医療費・補助金・仮設住宅・公営住宅・地元の方との問題等、それぞれの立場で困っている事に違いがあり課題が山積もりの様です。
帰宅困難区域では除染作業・主要道路以外の閉鎖・新築中の家もあるのに人が居ない町並みを通り双葉消防署へ。
消防署の方からの講演では津波による瓦礫が溢れる状況下での救助活動、水素爆発による避難指示により出張所移転、狭い空間での仮眠と原子炉冷却の為の支援活動の過酷な任務、行方不明者の捜索活動など。
自らも避難者であり家族と離れて任務に就き、壊滅的な被害を受けた場所での捜索活動などにより心的外傷後ストレス症候群の発症を懸念し双葉町消防全職員を対象に個人カウンセリングが実施されたそうです。
講演中にはコールが鳴り、出動して行きました。現在は復興工事の方々の救急対応をされているようでした。
バスは6号線を通り富岡駅へ。
駅舎は無く、レールとホームだけが残っている駅の向かいには津波に流されひっくり返ったままの車。その周りには草が生い茂り、家々の一階は津波で壊れたままの状況でした。
其々にできる事を
場所によって復興の進みが違う事や原発によってそれを更に遅くしているのだと感じました。
実際に視て聴いて感じて正しい知識を得る事によって過剰な不安を軽減し福島で暮らしている方へ思いを馳せることが自分なりの支援の仕方をみつけ出すきっかけになるのではないかと感じました。
そして、行動をし続ける事が求められているように感じています。
今回の視察を企画運営されました山崎絆塾の皆様、バスの運転手さん、看護師の安井様、各施設で時間を下さった皆様に感謝申しあげます。
真壁いずみ
写真報告
- 二本松安達運動場に建築された応急仮設住宅。夏はとにかく暑く、冬は寒い。4年過ぎた仮設の建物はあちらこちらに支障をきたし、住民の健康問題にも関わっています。
- 浪江町津島診療所
- 帰宅困難区域に入ります。事前に浪江町に提出した名簿に間違いがないか確認中。
- 閉ざされた門が開きます。
- 1日に2~3回、地域をパトロールするそうです。
- 浪江消防署臨時庁舎
- これから被災当時の活動のお話を聞きます。
- いたるところに線量計が設置されてました。
- 時が止まったままです。
写真提供:山﨑弘幸氏