はじめに

2017年7月24日(月)、山﨑絆塾会員のご支援を受け、山﨑絆塾として日本空港安全啓発センターを見学させていただきました。

1985年(昭和60年)8月12日(月)、日航機が御巣鷹山に墜落する事故が発生しました。日本航空123便墜落事故です。私も当時テレビから知らされるそのニューズを食い入るように見ていた記憶があります。

センターでは事故当時の破損の激しい機体や、衝撃の強さがわかる眼鏡や時計などが展示されてました。

その中で、「JAL鶴のマーク、つるの足に重りをつけて飛び立つことができない」という絵が展示してありました。 突然大切な家族を失ったご遺族の気持ちに胸が締め付けられました。

すべての方々に見学に行ってほしいと思います。

参加者の声

見学に参加されました2人の方から感想文が寄せられましたのでご紹介します。

安全は全ての基本だとの認識を新たに

日本航空安全啓発センターで貴重な体験をした。この企画にお誘いいただいた山﨑塾長や日本航空の福池看護師にお礼を申し上げる。

他の航空会社や世界中の人に見てもらいたい。安全は全ての基本だとの認識を新たにするとともに、あの時に日本中が感じた思いが蘇る。

日航123便墜落事故から30年以上が経つ。あの日、職場で臨時ニュースを聞いたときの全員の驚きは今でも鮮明に残っている。

現代の平和な日本で520人が亡くなる、あってはならないことが起こったのだ。凄惨な事故現場の報道に接する度に亡くなった方の恐怖と御無念はいかほどであったかと悲しんだ。

また救援に当たった方々の肉体的疲労と心理的被災は計り知れなかったであろう。山﨑塾長は被災者とともに救援者の心と身体の支援の必要性も訴えている。看護の大きな役割である。

事故の原因は後部圧力隔壁の修理ミスであることが明らかになっている。何故このようなミスが起こったかは実物を見て理解できた。

作業に当たったメーカーの担当者が修理の意味つまり自分がどうしてこの作業をするのかを理解していなかったのだ。自分の行為の意味を理解しないから、うわべだけの修理をしたのだろう。外見では問題がないが根本は修理されていなかった。

看護や医療に当たる者は自分の行為の本当の意味を考えなければならない。教育の世界においても学生たちから何故かを考える力を引き出すことが基本だ。

米国司法制度は事故の原因を明らかにして再発を防ぐことに主眼を置く。真相究明のために米国メーカー作業員の責任を追及しないので、結局このような大事故にも拘わらず誰も刑事責任を負わないという結末となった。

納得できない感情はある。最近続いた大事故の刑事責任追及も難しいのであろうか。

安全啓発センターはホテルのロビーのような清潔な雰囲気であり、機体や遺品、記録は大事に安らかに保管されている。

あってはならないことという思いが東日本大震災でも起こった。この救援にも看護が大きな働きをしている。

東京医科大学医学部看護学科 森山 幹夫

いたたまれない思いを忘れることなく、今後の活動を続けていきたい

筑波大学の松井豊教授が主催される研究会で山﨑様とのご縁を得て、今回の意義深い訪問の機会をいただきました。

日頃、事故・災害等のショックな出来事に遭遇された方々や支援を行う方々に対する心理的サポートを行っている者として、いつかは訪れてみたいと思っていた場所でした。

1985年8月12日、日本航空123便は羽田空港を飛び立った後に制御不能となって御巣鷹尾根に墜落、520名の乗員・乗客の尊い命が犠牲になりました。

羽田空港の日本航空整備工場にある安全啓発センターには、墜落現場だけではなく飛行ルートの洋上からも回収された、後部圧力隔壁、垂直尾翼、そして機体の一部などが、予想をはるかに超えた精度と凄惨さを帯びて、展示されていました。

事故に至った経緯について、動画を見せていただいたり、また展示を前に詳しく説明していただきました。

私はそれらを聞けば聞くほど、いくつもの偶然が積み重なって起こってしまったものとは思いつつも、そのうちの一つでも気づいていれば防ぐことができたもの、そして気づくことは十分可能であったものとの確信を強くし、無念さや悲しさや怒りやらが湧き出してきて、やりきれなくなりました。

会場には乗員・乗客の方が墜落前の機内で書き残したメッセージも展示されていました。家族への想いを記した方々、死への恐怖を書き連ねた方、そして乗員の方の手帳には、不時着の後に使おうとされていたのであろう、誘導のためのアナウンス原稿が残されていました。

後日インターネットで調べたところでは、安全啓発センターの保存・展示にたどりつくまでには長い年月がかかり、紆余曲折があったようです。

今私たちが拝見できるのはご遺族を始めとする関係者の方々の粘り強い努力の結果である一方で、「私は見られない」と仰る方もいらっしゃるとのことでした。

今この文章を書いていても訪問の際の感情がよみがえり、いたたまれない思いになります。私はこの思いを忘れることなく、今後の活動を続けていきたいと思います。そしてできるだけ多くの方々に、この場所を訪れていただきたいとも思います。

犠牲者のみなさまのご冥福を心から祈りつつ、貴重な機会をいただいたことに改めて感謝申し上げます。

NPO法人メンタルレスキュー協会カウンセラー
筑波大学大学院学生 山際 洋一

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