山﨑達枝 災害看護と私 Disaster Nursing

災害看護の意義と東日本大震災(月刊「教育と医学」掲載記事)

はじめに

月刊「教育と医学」のリレー連載「東日本大震災—支援をつなぐ・命の絆」に掲載した原稿が、厚意により原稿の転載許可がいただけましたので、以下に掲載いたします。

災害看護の意義と東日本大震災

災害多発国日本、減災に向けて

 東日本大震災発生からまもなく二年になろうとしている。約二年前発生の翌日被災地に立った瞬間、あまりにも悲惨な現実を目の前にし、表す適切な言葉が見つからなく、ただただ涙が出てきた。それからの私は、何度も被災地に向かい、看護職者としてできることとは何かを常に考えながら、被災者の皆さんの気持ちを第一優先に考え活動してきた。あれから二年になろうとしているが、被災地は復興に向けてまだまだ厳しいと感じている。

 世界の地震発生のうち二〇%は日本付近で発生しており、一〇%強は日本で発生すると言われている。震度5以上の地震発生の危険性は日本中にあり、日本のどこで地震が発生してもおかしくないと言った状況である。災害は、もちろん地震だけではない。風水害や竜巻など、まさに日本は災害多発国である。

 いかなる災害もその発生を止めることは不可能である。私たちにできることは、災害発生によりいかに被害を少なくできるか、平時の“減災”に向けての取り組みである。過去に発生した災害を検証しながら実践し、次の災害に向け被害を少なくすること、つまり“減災”に取り組むことが重要である。

 私は一九九〇年イラン・イスラム共和国のマンジュールで地震が発生したとき、国際緊急援助隊から医療班の一員としてラシュト市内の病院で支援活動を行ったのが初めての体験であった。それからの私は、災害が発生した地域で、国内外を問わず現場に赴き活動するなかで多くのことを学んできた。今回、看護職者として東日本大震災の被災地で学んだことをこの紙面を通じて読者の皆様にお伝えし、減災への一助になれば幸いである。

災害時の看護の役割とは

 多くの人は災害医療(看護)を考えるとき、建物が崩壊しその下敷きになった被災者をレスキュー隊が救出し、医療班に引き継ぎトリアージ(治療の優先順位づけ)・応急処置を行い救急病院へ搬送すること、超急性期の救急医療を思い浮かべるかと思う。もちろん命あってこそ、救命も重要なことである。この活動を否定する気持ちはない。

 しかし「災害の現場は地域である」ということを忘れてはならない。被災地はその地域にあり、超急性期であっても、避難所に避難してきた人から在宅者まで、そこに居た全ての人々が被災者となる。活動の時期と活動の場所の違いによって、それぞれ看護の役割が求められる。これこそが災害時に求められる看護である。救命は重要なことだが、せいぜい一週間くらいで外科的な治療は山を越す。急性期のみならず、被災者は復興に向けてこれから先が大変な時となる。

 以上の観点から、私の経験に基づき災害看護の定義として、次のように語っている。

 「災害看護は、刻々と変化する状況の中で被災者に必要とされる医療および看護の専門知識を提供することであり、その能力を最大限に生かして被災地域・被災者のために働くことである。したがって、被災直後の災害救急医療から精神看護・感染症対策・保健指導など広範囲にわたり、災害急性期における被災者・被災地域への援助だけでなく、災害サイクルすべてが災害看護の対象となる」

 この定義から特に強調し伝えたいことは、「看護職者としてその能力を最大限に生かして被災地域・被災者のために働くこと」の部分である。

命と健康を守る看護

 病院で行う医療(看護)だけが看護ではない。病院でなくとも、そこに医療機器がなくとも、看護の役割は、何処ででも、何時でもできることはたくさんある。災害発生により一瞬にして多数の傷病者が発生し、人・物・時間は限られ、ライフラインも途絶えたなかで、傷病者に医療を提供しなければならない。当然、被災地の看護職者は被災者でもあるが、さらに救援者にもなるので、「二次被災者」とも呼ばれる。市民はこれまでの当たり前と思えた生活が突然できなくなり、非日常が日常となることが災害である。すべての物が十分に揃わないなかで、行うべき災害医療の特殊性と看護について、私は次のように語っている。

 「一瞬にして多くの死傷者が発生し、発生地域の広範な破壊、治療にあたるべき病院は破壊され、医療従事者も被災者となる。物的・人的資源の限られた状況下で看護職者として看護原点の基本に戻り、臨機応変に柔軟な対応と創意工夫ができるかどうかが災害看護の特殊性であり、求められる一番重要な点だと思われる」

 特に災害発生後の被災地での活動は、五感を生かしたまさに看護の原点であり、その意味でナイチンゲールの看護がまさに災害看護の原点だと私は思う。ある日、若い救急認定看護師から「山﨑さん、ナイチンゲールの看護なんてもう古いですよ」と強気に指摘されたことがあった。「確かにナイチンゲールはお亡くなりになり、過去の人でしょう。しかし、彼女が語った看護は決して古くない。まさに看護の原点であり、災害看護の原点だと私は思います」と伝えたことがあった。

 次に大学病院のICUに勤務していた看護師は、避難所の支援活動に参加した。そのときの感想が印象に残ったのでその一部を紹介する。

 「これまで、ナースステーションに入るとモニターで患者の状態が確認でき、患者の傍に行っても、改めて自ら脈を触れるなんてしたことはなかった。しかし、避難所に行き何もないなかで、夜間どう過ごされたのか等お話を聞きながら脈に触れ、観察しながらその方の状況を理解することがどれほど大切なことだったのか、脈を触れるということは脈拍数を知るだけではないんだ、ということが被災者の皆さんと触れ合うなかでよくわかりました」と語った。

 川島みどり氏は、「看護の時代の中で、これからは看護・介護の時代、震災に見舞われ、看護はその必要性を一気に認知されることになりました。いまこそ『看護』の出番です」と語っている。私も災害看護を学び始めた一九九〇年以降から語ってきたことは間違いはなかったと改めて感激した瞬間でもあった。

 被災地という現場で活動することで、本当に看護の醍醐味がわかる。つまり、現場に看護があり学びが現場にある。特に災害発生後には、被災者の健康・生活・暮らしを守ることが重要なことであり、見えないものを観る看護の力が求められ、看護職者としての手腕が問われるときでもある。

社会資源としての災害現場で看護職者に期待される役割とは

(1)受け手の立場から観る看護

 看護職者は常に、保健福祉医療の「受け手」である被災者の視点で災害看護実践をとらえ、その責務の「担い手」として、使命感をもち、社会から要求される役割を遂行している。そうした中で自らの専門性を最大限に生かすには、受け手のニーズの変化を、担い手の役割との調和をいかに保つかが鍵である。受け手が求めるニーズをキャッチするには、被災者の傍に行き、関わりから理解できることであり、そのためには担い手である看護の感性が求められる。

 阪神・淡路大震災後、災害医療に関し国民の価値観が大きく転換したと言われる。社会との関わりのなかで看護職者としてのあり方、社会活動を通じて行う「社会資源」としての看護職者がこれから担うべき責任や役割について考えることが、今求められている。

(2)看護力で震災関連死を防ぐ

 阪神・淡路大震災では死者六四三四人のうち震災関連死は九一九人(一四%)、新潟中越地震では死者五八名のうち半数以上が震災関連死と報告されている。さらに東日本大震災発生後の震災関連死については、二〇一二年三月十一日付の日本経済新聞の報道によると、「避難生活で体調を崩したなどの理由で亡くなった『震災関連死』と認定された人数は岩手、宮城、福島、茨城、埼玉の五県で一〇四七人にのぼることがわかった。これにより、地震・津波による人数と合わせると、東日本大震災に起因する死者・行方不明者は二万人を超えることとなった」と発表されている。

 東日本大震災では、避難所生活を伴う諸要因、特に避難所生活環境の不備による感染症・安全な水や食糧の不足・厳しい気象条件への曝露・環境衛生や個人衛生の劣化・精神的負荷・保健活動や予防衛生活動の中断などから、二次的・疾病要因が考えられる。日本国憲法二五条一項には「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれている。が、それらを逸脱する状況に陥るのが自然災害である。

 そこで震災関連死と関連することとして、次の二点について考えてみたい。

①肺血栓塞栓症・生活不活発病とトイレの問題

 避難所生活で使用するトイレについて考えてみることにする。

 現在、国内のトイレはほとんどが水洗・洋式となり、便利・快適なトイレと進化してきた。しかしこれは、あくまでもライフラインに全く支障のない時である。ひとたび災害が発生すると、これが日本かと思えるほど激変する。

 私は阪神・淡路大震災発生時に、ドクターズカーに乗り避難所を巡回しながら医療支援活動を行った。その際、体育館のトイレや仮設トイレを利用するときは、息を止めて少しでも早く用事を済ませ飛び出る、といった状態であった。

 阪神・淡路大震災から十六年後に発生した東日本大震災でも、汚い・目をそむけたくなるようなトイレであり、この問題は解決されずに課題は残されたままであった(図1)。

 病院・施設に勤務する看護師は、トイレ掃除をする機会はほとんどないだろう。阪神・淡路大震災や東日本大震災の発生後に、支援に来た看護職者にトイレ掃除を依頼したところ、その看護職者は拒否し帰ってしまったということがあった。同じ看護職者として大変残念な事実である。トイレを率先して綺麗にする=被災者の排泄状況を観察しながら利用者の健康状態を把握することは、人人の健康を守る視点から大切な看護職の役割であると思うのは、私だけであろうか。

 排泄することを我慢したり諦めることなどできない。しかしトイレの数は少なく、そのうえ汚い。そこで、トイレに行く回数を減らすために水分・食事の摂取量を少なくしようと誰もが思い実行する。その結果、肺血栓塞栓症・廃用症候群(一般的には生活不活発病)になりやすくなる。特に機能が低下した高齢者には死につながる危険な疾患である。それなら、トイレの数を多くしたら良いのではないか! ある物を利用してできることを考える。まさに考える看護である。

 ここで、段ボールを利用したポータブルトイレを紹介したい(図2)。具体的な作り方は参考文献2の「資料2 緊急時の段ボールトイレの作り方」を参考にしていただきたい。

 新潟県中越地震で浮上したのが、車中泊が原因となった肺血栓塞栓症である。狭いところに同一体位で過ごす(図3)ことが原因ともいわれるが、それだけが原因ではない。水分を控えることも要因となる。

 そこで身体を動かすこと、ラジオ体操でもなんでもよい、声をかけ合い共に行い、その後に「汗をかいたので皆さん集まって茶話会をいたしましょう」と声かけをする。水分摂取量の観察も可能となるが、被災者同士顔の見える関係作りにもなり、支援者とも語り合う場ともなる。こうした場作りが、被災者へのこころのケアにもつながっていく。看護職者ができるこころのケアの第一歩だと思う。

②誤嚥性肺炎と口腔ケア

 次に問題となるのが誤嚥性肺炎である。

 東日本大震災発生後、誤嚥性肺炎で亡くなった人が多く、「国民衛生の動向」では、死因第四番目から三番目に変わった。特に高齢者の死亡増加である。

 阪神・淡路大震災では、震災がなければ助かったかもしれない死および震災関連疾患死は九二二名であった。そのうち肺炎、心筋梗塞、脳血管障害が多く、肺炎(避難所肺炎)が最多の二二三人(二四%)である。

 神戸常盤大学短期大学部口腔保健学科教授の足立了平氏は、災害看護支援セミナーで誤嚥性肺炎について次のように語っている。

 「予防として、口の細菌をコントロールすることが重要です。口の細菌は、肺炎、心臓疾患、動脈硬化、低体重児出産などの誘因になります。特に肺炎は高齢者にとって死亡率が高く、口が汚れているほど罹患しやすいのです。震災では口のケアが不備になり、肺炎で多くの高齢者が亡くなりました。徹底した口腔ケアは、肺炎発症率を約四〇%減少させ、死亡率が六〇%減少しました。健康は健口から始まる、健康は口から壊れていく!」と話された。

 看護職者としてできることは、まず口腔ケアの実践である。口腔ケアのチラシの作成、健口体操の実践、支援物資の活用などまだ他にもできることはある。多くの職種と協働しながら考え行っていくことが大切だと思う。

 「生きた心地がしなかった」「生死をさまようような体験をしながら助かった」等々、多くの被災者からの語りである。災害直接死を免れ助かった命を震災関連死で失うようなことがあってはならない。生活環境が人々の健康に大きく影響している。だから、生活する人間と生活環境を視点にした看護を提供する必要がある。病気にさせない、生きる力を与えるのは看護である。どのような状況下に置かれても、人間と生活・健康に視点を置いた看護が必要だ。私たちの看護の力で震災関連死は防げるのではないだろうか。人々の健康を守るのは看護職者の重要な使命である。

在宅者・障害者施設に目を向けよう

 引き続き震災関連死についてであるが、震災関連死は、避難所だけではなく、在宅被災者にとってもその危険性は大である。

 高齢化が進んでいる日本、被災地も例外ではない。一人暮らしの高齢者宅を訪問すると、食事も摂れてない、おむつは何日も変えてない、床ずれができている。(津波による被害がなく)自宅が残ってしまって申し訳ないと、自宅にひきこもっている人、避難所に行きたいが行けない・行きたくないなど、その理由は様々であった。在宅被災者宅に訪問し、お話をしながら保健指導するなかで、まさに地域医療の重要性と看護職者でこそできることを痛感した。

 東日本大震災発生後、何度も被災地を訪れて学んだことの一つに、障がい者施設がボトルネック(障害・難点)になったのではないかということである。災害時に支援優先度の高い人(災害時要支援者)の中に障がい者が含まれる。障がい者施設には様々な疾患や身体不自由者が入所している。

 例えば、自閉症者は環境が変わっただけでも精神状態が不安定になり、多くの人々と社会生活を営むのが不得意という特徴がある。東日本大震災被災地の某学園では、津波で施設は全壊、入所者全員と職員は避難所に避難したが、他の避難者に迷惑がかかり、避難所などを転々としていた。学園のみならず、このような家族を持つ家族が、避難所生活をできなくて困ったとの話も聞いている。今後このような問題を丁寧に考えないと、弱い者がますます弱いところに追いやられ亡くなっていくのではないかと考える。弱い立場の人がますます弱くなるのが災害だ、ということを痛感させられた。

 まさにこうしてみると、キュアよりケア、疾患より暮らしを、 医療ニーズより介護・看護ニーズのほうが高く、災害発生直後から被災者の中長期を視点にその人の生活・暮らしへの支援が大切であるということである。

減災に向けて看護職にしかできないこと しかし看護職だけでは何もできない

 被災地病院の職員の方々と話す機会が多くあり、その中から「これまで私が言い伝えてきたことに間違いはなかった」と改めて感じられたことのひとつに、平時から災害発生時に多数傷病者が発生することを想定した訓練を行うことである。

 その訓練とは、まず施設に合ったマニュアルを作成し、そのマニュアルに基づいた訓練をすることである。「訓練は実践の如く、実践は訓練の如く」であり、さらに、「職種横断的・段階的に訓練を行うことが重要である」と私はこれまで語り続けてきた。このことが間違ってなかったと実感することが起きた。

 宮城県塩釜市内A病院では、東日本大震災が発生した三月十一日午後二時四六分の六分後には災害対策本部を立ち上げ、一三分後にはトリアージエリアの設営をし、搬送されてくる傷病者全員を三〇秒でトリアージしたと、報告を受けている。

 しかしこれは一夜にしてできたわけではない。平成二十一年に、同病院のある一人の看護師から「災害について、うちの病院で講演してほしい」という依頼から始まった。初年度は多くは看護職の参加で、それほどの人数ではなかった。翌年の訓練には、救急医や他職種の代表者が参加した。講義だけではなく、実際に発生した時を想定した動ける演習を行った。そして三年目の二〇一一年三月三日(木)には、病院をあげて管理職の参加された訓練が行われ、終了直後に検証し、そこで得られた反省点を翌週の七日(月)に再度取り組んだ。そしてその週の金曜十一日に大地震が発生した。

 この報告を受け、看護が変われば病院は変わる、諦めてはならない、ということと、医療はチームであり、災害対応は看護職だけではできないことを実感した。

おわりに

 北野たけし氏は、「震災は大勢の人が亡くなった出来事が一度起きたのではない。一人の人が亡くなった、一人の事件がたくさん起きたんだ」と語った。

 東日本大震災の被災者としてひと括りすることなく、一つひとつの問題を丁寧に検証し、今後発生するであろう災害に対応できるよう減災に向けて考えていくべきだと思う。

文献

1)川島みどり他『看護の時代—看護が変わる 医療がかわる』日本看護協会出版会、二〇一二年
2)上幸雄『生死を分けるトイレの話—災害時のトイレ問題とその解決策』環境新聞社、二〇一二年

●山﨑達枝(やまざき・たつえ)
NPO法人災害看護支援機構副理事長(前理事長)。看護師。専門は災害看護、国際看護、救急看護。二〇〇五年六月まで都立広尾病院救命センター看護師、看護師長、および災害対策担当専任として活動。一九九〇年イラン地震での緊急援助隊に参加以降、スマトラ沖地震、中国四川大地震、ハイチ地震などで災害看護を行う。東京都看護協会「災害対策委員会」委員長、日本DMORT研究会幹事、日本集団災害医学会評議員、日本災害看護学会評議委員、防衛大学校非常勤講師ほか多数を務める。 主著に『3.11東日本大震災看護管理者の判断と行動』(日総研出版、二〇一一年)、『災害現場でのトリアージと応急処置』(日本看護協会出版会、二〇〇九年)、『災害時のヘルスプロモーション〈2〉』(共著、荘道社、二〇一〇年)など。

「教育と医学」2013年3月号(p36-45)より転載。
http://www.keio-up.co.jp/np/inner/30717/

(2013年3月掲載)
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