山﨑達枝 災害看護と私 Disaster Nursing

中国四川大地震被災地視察調査から学んだこと(2008)

中国四川大地震

2008年5月12日に発生した中国四川大地震では甚大な被害を受けマスコミを通して世界中の人々を震撼させた。被災範囲は、長さ300km、幅20km(神戸から広島の範囲に準ずる)に渡って断層が動き、極めて範囲が広く大きな被害に繋がったといわれている。

子どもを持つ母親としては、子供たちが学校で授業を受けていた最中に地震が発生し破壊されたコンクリートの隙間から鉛筆を握ったまま亡くなった子供たちがとても痛々しく悲しかった。

2008年の6・8月と短期間ではあるが、NPO法人災害看護支援機構より2回ほど訪中する機会を得た。第1回は理事長である私と副理事長黒田裕子・酒井明子らと現地調査と支援目的に成都に渡った。

2回目は復興に向けて建築学、医学、社会学、看護学領域の8名の専門家の参加を得て、被災地四川省綿阳・綿竹・都江堰の被災地を視察した。わが国で1995年1月に発生した阪神・淡路大震災からの学びと今回の訪中調査から得られたことを華西病院において看護師を対象に講演会を開催した。

特に2回目は都市部・中間山地・農村と分けて視察でき、多くのことを学んだ。そのうち次の3点が印象強く残っている。

①支援体制と医療の地域格差、②農村に住む人々の生きていく力強さ、③(国内外と問わず)被災者と救援者のこころのふれあいである。

瓦礫を片付けた日本人

都市部の被災地はまるでゴーストタウン、廃墟状態であった。都市部や都江堰のような世界的な観光地には国からの支援は一早く行なわれていたが、農村地区は置き去り去れているかのようであった。倒壊した家から使えるレンガや廃材を利用し、また、竹の枠組みに防水シートを被せるなど、簡素ながらも自力仮設住宅をたて生活を始めていた。

土地がある・食材があるということは、生きていくための大きな力を与えると言う事を強く感じられた。「農民は貧しいのではない、現金を持っていないだけだ、生きていく力はある」と農民は語った。まさにその言葉通りであった。だが訪問した農村地区の被災者が最初から元気であった訳ではなかった。その背景には、一人の日本人男性から大きな勇気を得たからである。

甚大な被害を受けた北川県の農村地区香光村5組に住む婦人から、「被災後は主人も私も生きていく希望を見失った。そんな時に日本人男性が来て黙々と瓦礫をかたづけ始めた、その姿に私達は生きる希望・笑顔を取り戻すことに繋がった」と当時の状況を涙ながらに話してくれた。マザーテレサの言葉に「行ってこそ愛なのです。問題はなにを行うかや、その大きさではありません。その行動にどれだけ愛を込めるかです。」と語っていたマザーテレサの言葉を私は思い出した。

香光村1~5組の人口727人、180世帯、この村の医療は4組にたった一人の医師が診療を行っているだけであった。被災者でもある医師は自分のことは二の次にして「自分が一番欝状態」と言いながら、目の前にいる被災者の診療を休み無く行っている。

この地域の住民の健康状態が気になり、血圧測定すると普段より高めである。会話中は笑顔で話しているが、具体的に体調のことを尋ねると背中が痛い、湿疹ができている、眠れない、食欲がやっと出てきた等々訴えは様々であった。

村の皆さんに心身健康への保健支援活動が必要ではないか、中国の看護職と協働で活動を行って行きたいと考えた。被災された方の健康を長期的に支持していくこと、私達看護職として被災者の生活の場において健康状態を見守っていくことは不可欠である。

トイレ格差

中国のトイレルーツを探ると、中国のトイレはコミュニティの場「ニーハォトイレ」と紹介されていることを何かで読んだ記憶があった。ドアがないのは知っていたが、共同トイレには驚いた。

中国のトイレについて神戸協同病院 院長社会福祉法人駒どり理事長、当災害看護支援機構理事長上田耕蔵氏は、次の様に報告している。

綿竹のボランテイア事務所

プレハブには床がないので、竹で編んだござが引かれている。便所水道は共同である。トイレは林の隅にあったが、テントで覆われていた。中に入って仰天した。5m四方のテントの中は巨大な深さ2mの大穴が掘られていた。張られた板の隙間から小便、大便をするのである。当然のことながらしきりはない。足を踏み外せば落ちるのみである。足腰の悪い人は対象外のようだ。もっともトイレは田舎に入るとどんな立派なレストレンであっても小便はおろか大便のトイレにしきりはない。

(災害看護支援機構四川大地震報告書より一部引用)

今後の課題

活動を共にした関西学院大学 教授 災害復興研究所 所長 都市防災計画 当災害看護支援機構副理事長室崎益輝氏は次の様に述べている。

四川地震の被災地域は、地形的にも民族的にも産業的にも多様多種な地域を包含している。山間高地から低地平野にいたるまで、過疎集落から高密都市にいたるまで、農業地域から観光地域にいたるまで、経済的に裕福な地域から極貧の地域まで、多種多様な地域が被害を受けている。ところで、地域の条件が変われば被災地支援のニーズも大きく違ってくるので、それぞれの地域の実情や被害の実態に応じた個別的で多面的な支援が求められることになる。画一的な対応を排して、如何に地域に即した支援するかが、問われることとなった。

死傷あるいは倒壊といった直接的な被害にとどまらず、精神的被害、文化的被害、経済的被害など間接的被害も極めて深刻な状況にある。掛替えのない親や子供を失った人々の心の傷をどう癒すか、山腹崩壊や土石流で土地を失った人々の居住地をどう確保するか、観光客の落ち込みで働く場を奪われた人々の暮らしをどう支えるかなど、様々な形での中長期的な支援が求められている。復旧や復興の段階での住宅再建や経済再建などを如何に支えるかが、問われることとなった。

多様なニーズに細やかに応える支援の展開

こうしたニーズに対しては、地域に密着した支援、包括的な生活の支援、自立を引き出す支援、ボランティアによる支援などが欠かせない。ところが、支援文化が必ずしも成熟していない四川では、必要な支援が量的にも質的にも不足した状況に止まっている。それは、第1に支援の資源の絶対量が不足しているためである。とりわけ、支援者と支援金とが不足しており、支援が入っていない地域が少なくない。第2に、住宅再建や集落再建に必要な技術的ノウハウが、経験不足から欠乏しているためである。第3に、官製の支援に慣れきっていて民間の支援に習熟していないためである。

四川地震の被災者の生活再建をはかるためには、こうした未熟な支援の現状を早急に克服しなければならない。そのためには、第1に、国内外の支援の和を大きく広げることである。中国国内の支援もさることながら、日本からの金銭的および技術的支援が欠かせない。被災者の立場に立った博愛的、人道的支援を期待したい。この点については、日本人のポランティアが北川県の集落において、被災者の共感と信頼をえながら持続的に支援活動をしている事例に学ぶことが少なくない。

第2に、中国における新しい支援文化の確立をはかることである。広範な人々が被災者と手をつないで支援をはかるシステムを確立することである。とりわけ、ボランティアや専門家が支援に積極的に関わるシステムの構築を急ぎたい。これについては、阪神・淡路大震災以降の日本の支援システムの教訓を積極的に伝えることが欠かせない。

第3に、支援文化構築のための国際的な協働作業を展開することである。支援の中心的な担い手は中国の支援者であるが、その担い手を支援するための協働、あるいは四川の支援で得られた教訓を共有するための協働が、必要と考える。シンポジュウムやモデル事業あるいは技術交流などを、中日両国が手を携えて進めることを期待したい。

(災害看護支援機構四川大地震報告書より一部引用)

中国四川大地震は2008年5月12日現地時間14時28分(日本時間15時28分)、中華人民共和国中西部に位置する四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で発生し、地震によって道路や電力・水道・通信などライフラインが寸断された。

2008年7月22日、中国民政部の報告によると、「現地時間21日正午現在までで、四川大地震の死者は6万9197人、負傷者は37万4,176人に上り、1万8222人がなおも行方不明となっている、14日時点での発表によれば、家屋の倒壊は21万6千棟、損壊家屋は415万棟である。中でも学校校舎の倒壊が四川省だけで6,898棟に上り、校舎倒壊による教師と生徒の被害が犠牲者全体の1割以上を数え、地震により避難した人は約1514万7400人、被災者は累計で4616万0865人となった。」と発表され、地震発生後からも被災地まで依然と医療支援は手が届かず状態で死者数も増えている。

特定非営利活動法人 災害看護支援機構では、6月5日~8日までの4日間、8月10日~15日までの6日間と2回被災地域を視察した。特に2回目の視察では都市、中山間地、農村地域の人々の生活を知り「今被災者は何を必要としているのか、我々にどのような支援ができるだろうか」を視点にモニターした。

その得られた情報から、①日本と政治・医療・文化・生活習慣等の背景が違う中国、その被災地域に即した支援に何が考えられるか、②その支援は、中国の人々が主となり我々が継続的にできる支援であるか否か、被災地の人が今何を必要とされているかを考えると、住民への保健衛生支援活動が最優先されるのではと考えられた。

以上の点から農村地、綿陽(Mian Yang)市の香泉(XiangQuan)という村を視察した。村は1~5組、世帯数180世帯、人口727人の村に医師はたった一人である。生活格差・医療格差・支援格差が安易に理解でき、特に医療支援の乏しさを痛感した。地震による直接死は免れた村民は協力し合いながらも自給自足で生活している。しかし、その生活実態は厳しい状態であると思えた。

村民との会話中に村民は笑顔で話してはくれていたが、身体的な面での症状を聞くと、頭が痛い・背中が痛い・夜良く眠れない、便秘している、血圧が普段より高め、心拍も多いなど精神的・身体的苦痛を訴え、こころと体のバランスが崩れていることが読み取れた。

この点から、被災者の健康面を考え農村部への医療支援が急務である。

  1. 村民の健康調査、調査から村民への健康指導:村民の地域社会を助ける。コミュニティの絆を強め地域社会の結びつきを考える
  2. 一人の医師を支える医療支援
  3. 中国医療者が主となる支援体制の構築
  4. 災害看護者の育成 

中国と日本の支援者同士の情報交換と住民との信頼関係を形成しながら、被災者の自立を考慮した支援が望まれる。一度の支援活動と言う表面的なものではなく、継続的な保健医療支援活動が必要であり、支援者同士の連携により継続実践をつづけていくことが、結果的に人材育成にも結びつくと考える。

幸いこの地域には日本人ボランティアが既に活動し、住民との信頼関係が構築されていることから、我々も支援活動しやすい地域と考えられ、中国の医療者と連携を取り、つなぎ目のない医療支援を行っていくことで、被災者へのトータルヘルスケアのシステムを構築していけることと思われる。

我々のメンバーの中には、阪神・淡路大震災の被災者や、全員が国内外で発生した災害現場に赴き支援活動行うなど多くのことを経験し学んできている。また、新たな被災地域の災害現場から学ぶ事も多く、この学びえた知識・技術とこころ、これらを我々は伝承していかなければならないという役割がある。

被災地に出向き、人々と触れ合うことにより、我々の新たな学びとなり、自らの成長につながっていくゆえに災害看護支援機構の今度の活動として取り組んで行きたいと考える。

最後に日本財団・吉椿雅道さん・植田麻紀さん、多くの方々のご協力を頂き、被災地で学ぶことができましたこと感謝いたします。

(2012年9月掲載)
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